top of page

BIO

出来るだけ

この荒んでデロデロに滞って

澱んでる気持ちを

昇華して優しいものが歌えたらいいなー。

自分の信念に忠実に、

安売りする必要はない。

私は私、大切に愛す。
毎日まるで日記みたいに曲を作る。
写真を撮ってるみたいな時、

思い出を残す感じ、
祈り願いを託したり希望を込めたり、
愛しいと想う気持ちの時、
憎悪を込めたり、

吐き出すような

排泄行為のような時もある。
こんなに短い1曲の中に

いろんなことを詰め込める。
音楽ってすごい。

私が音楽を突き放すことはあっても、
音楽が私を突き放したことは

今まで一度もない。

と思う。
ずっと寄りかかりながら、
これ以外にやりたいな

と思うことがないまま生きて、
この先も多分そうなんだと

気付いてハッとなった。
上手くできる訳でもないのに、

ずっと続いてる。

叫んで血が飛び散るほど

ギター弾くのは多分、
通過点で必要な時期だった。
これから先

もう声を荒げて叫ぶような表現は

しないと思うけど、
静かで淡々としていても私は私。

中身は変わらない。

多面的な姿を頭の中で展開させて、

もっと表現したいなって
上手くまとまらんけど

今とても思ってる!
上手くまとまらんけど!

今とても考えたこと

忘れないように!

ライブやると元気になります!
何でだろう!
不思議な魔法が

ステージにはあります。
楽しい音楽は1mmもやってないのに、

楽しいと思います。
ずっと、

作り続けて表現していきたいです。
不思議だ!

~ 谷代悠  ~

アメリカ南部のルーツ・ミュージックは、
ブルースにしてもカントリーにしても、
悲惨な生活から生まれ、

哀しみを歌うものが少なくない。
そういう気の滅入るような内容の歌が、
なぜか多くの人の心を捉える。


それは、

歌を通して

体験を共有するということが
人間に測りしれない力を与えるからだ。
人間はただひとりで

自分の存在の無意味さに
耐えることができるほど強くない。


しかし、

たとえ家郷に帰れなくても

(homelessness)
土から切り離されても

(uprootedness)
そしてまた、愛する者を失っても

(blues)
その喪失の切実さを

分かち合う人々がいる限り、
私たちは生きることができる。


音楽が

愛という言葉と結びつくとすれば、
そういう意味だろう。
哀しい音楽がなぜ楽しいか。

美しいからだ。
そして心のありようを

偽らずに伝えようと模索するからだ。
ルーツ・ミュージックは

そうした単純さを失わない音楽だ。

 


ジェームス・M・バーダマン/村田薫 共著
「ロックを生んだアメリカ南部

~ルーツ・ミュージックの文化的背景」 


あとがき より

bottom of page