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A to Z

 

A

■アドヴェント・カレンダー

子供のとき、大好きだったアドヴェントカレンダー。

朝起きてパンを焼いてるあいだにめくる。クリスマスまでのささやかな楽しみ。(川江美奈子)

(アドベント・カレンダーとは?)クリスマスを迎えるまでの4週間をアドベント(待降節)といいます。そのまちどおしい気持ちを、毎日トビラを開けると美しい絵が出てくるカレンダーを通して少しずつ高めていきます。(24日間、24の動物やお菓子、プレゼントが描かれて、今日は何だろうと楽しみます)

 

■「A HAPPY NEW YEAR」

ユーミン1981年の名作「昨晩お会いしましょう」の終曲として有名な傑作。武部さんの「ピアノマンⅡ」、ユーミンのカバー・アルバム「Dear Yuming」の最後を飾るゴスペラーズのカヴァーが有名。それぞれライブでも披露しているがなんと言っても有名なのは、窈ちゃん、武部さんと3人で「春よ、来い」を唄った武部聡志 Special Acoustic Session ~ Produced by 武部聡志(新宿FACE 2006/12/12) の時のエンディング、武部さんのピアノ・ソロ。そして・・・夜想フ会~春待月~ (12/7(金)目黒庭園美術館 大ホール)での、武部さんとギャンちゃんの名演。

※ギャンちゃんは、毎年年越しは「この曲」を聞いているらしい・・・

 

■藍色・瑠璃色・菫色

2006年の「夜想フ会」に付けられたタイトル。「青」好きのギャンちゃんが藍色・瑠璃色・菫色という微妙に違う「青」をタイトルにつけたもので、ギャンちゃんの「微妙な変化を見てほしいな」という気持ちと「誰かを思う夜が始まって、それがだんだん明け方の菫色に向かっていく」そんな流れを、3夜のライブを通して感じて欲しいという思いがある。同ライブ第3夜で「藍色・瑠璃色・菫色」という曲も発表しているがその後は歌われてもいないし、CD化もされていない。

 

■あじさい電車

「紫陽花電車」の元となった箱根登山鉄道の「あじさい電車」のこと「スゴークまだ私が若い頃」浴衣姿で気合をいれて箱根の登山鉄道「紫陽花電車」に、そのとき、大好きだったボーイフレンドと乗った時のことを唄った曲。

 

■「青が好き」の原点

以下ギャンちゃんブログより・・・その原点が何だか、実はわかっています。間違いなく、これだと思う。三歳くらいのときにこの本のシリーズに出逢いました。マザー・グースのうた谷川俊太郎さん訳 堀内誠一さんイラストレーション私はこの本の色合いと、隠れた不気味さ、さめた言葉の響きになぜか異常なほど惹かれ、旅行に行くときも、寝るときも、嘘じゃなくて本当にいつもいつもこの本を持ち歩いていました。甘いかと思いきや、どこか怖くて、それがきれいで、大好きだった。実家にある当時の本は角がとれて丸くなっています。中でも青の使われた頁は飽かず眺めていたから、今はどんな青になっているのか‥久しぶりに見たくなってシリーズセットを買いました。第二集のなかでお気に入りだった18ページ、きらきらちいさなおほしさま読み返して‥ああ、なっとく。“あいいろのそらにあなたはいて まどからわたしをのぞいてくれる”

 

■アカペラ

概要イタリア語で「チャペルのように」を意味し、教会合唱の様式を意味するものであった。この「チャペル」というのはバチカンにあるシスティーナ礼拝堂のことであり、それ以外の中世の教会では、パイプオルガンによる伴奏が一般的で、無伴奏での合唱は禁じられていた。つまり、「ア・カペラ」とは本来システィーナ礼拝堂で演奏される無伴奏の合唱のみを指していたのである。それが後世になって楽器の伴奏を用いずに宗教曲等を合唱・重唱すること全般をそう呼ぶようになった。なお、現在では更に転じてポピュラー音楽の一スタイルの名前としても用いられている。ポピュラー音楽の「アカペラ」以上のようにア・カペラはクラシックな合唱曲のものであった。しかし一部のポピュラーアーティスト達がア・カペラのスタイルに注目するようになり、1980~90年代にかけてミュージックシーンで人気が沸騰することとなった。その火付け役となったのがTAKE6などといったア・カペラグループのヒットである。日本でア・カペラ人気を牽引した立役者にはゴスペラーズが挙げられるだろう。彼らより先にア・カペラを自らの音楽に取り入れたのはチキンガーリックステーキである。2001年には、某バラエティー番組の人気コーナーに出演したRAG FAIRがアカペラブームの火付け役となった。ポピュラー音楽のア・カペラでは、クラシックの和声的、対位的な構成だけでなく、ジャズ・ハーモニーによる構成をともなうことも多い。クラシックの合唱と異なりマイクの使用を前提とするため声でパーカッション効果を出す(ヴォイス・パーカッション、ヒューマンビートボックス)など様々な手法を用いることができる。なお、ポピュラーにおいてはアカペラという表記が一般的である。演奏上の留意点ア・カペラを演奏する際には、伴奏のある場合と異なりピッチの調節が大きな課題となる。演奏前にピッチパイプや音叉などで音をあわせるが、それ以降の音高のずれは蓄積していってしまうため、演奏者の音感により正確さが求められるのである。また、伴奏のないぶん和音の美しさで声に厚みを持たせているのでベースを中心にぴったりハモっている必要がある。

 

■アクアマリン

ぎゃんちゃんの誕生石(3月)

2009年にユーミンの苗場ライブに行った時に、プリンス・ホテル内の銀細工コーナーで指輪を作りその時に「アクアマリン」を埋め込んだことがブログで紹介されている。

 

■阿佐ヶ谷

ギャンちゃんの生家がある町。いわゆる高級住宅街であり、北口には教会も数多く立ち並び、阿佐ヶ谷文士村として昔から有名であり、ジャズストリートや七夕祭りなど文化の町として、中央線沿線の他の町とは一線を画している。TVドラマ「ひとつ屋根の下」の舞台も阿佐ヶ谷。南口、中杉通りのけやき並木は阿佐ヶ谷のシンボル的存在。

 

■Asa Pudding

ギャンちゃんがバークレーから帰国後、平成11年9月に学生時代の仲間と作った、ジャズ・ポップバンド

東京都内のライブハウスを中心に活動。メンバー:川江美奈子(P,Vo) よしうらけんじ(Perc) 磯金俊一(G)

 

■アテレコ

映像に後から音を入れる「アフレコ(アフター・レコーディング)」と同じ意味で使われる事が多くなり、使用頻度は少なくなっているが、本来は、「アフレコ」とは違い、自身が演じていない役者に声だけを付け加えることで「映像にセリフを割り当てる」が変化した日本語。ギャンちゃんが、今井美樹のPV「年下の水夫」で武部さんの弾いてるピアノに合わせて、ピアノを弾いてる映像を撮影したのも「音に演技を割り当てる」という逆の意味でのアテレコ。ギャンちゃんは正しく「アテレコした」と言っていた。

 

■編み物

ギャンちゃんの子供時代からの趣味。腕はなかなかのものらしい・・・

中森明菜に書いた、最初の提供曲は「紡ぎ歌」「ピアノ」の一節にも「紡ぐ」という言葉は出てきておりギャンちゃんの曲を言葉で表現する時にも「紡ぐ」という言葉が非常に多く使われています。

 

■雨の唄

ギャンちゃんが自身のラジオ番組で「好きな雨の歌は?」と聞かれてボソボソと答えた唄がこの曲。

 

雨降り熊の子

作詞者 鶴見正夫 作曲者 湯山 昭

 

1 お山に 雨が降りました

 後(あと)から後から 降ってきて

 ちょろちょろ 小川(おがわ)が できました

2 いたずら 熊(くま)の子 かけてきて

 そうっとのぞいて みてました

 魚(さかな)が いるかと 見てました

3 何(なん)にも いないと 熊の子は

 お水を一口(ひとくち) のみました

 お手(てて)で すくって のみました

4 それでも どこかに いるようで

 も一度 のぞいて 見てました

 魚を まちまち 見てました

5 なかなか やまない雨でした

 かさでも かぶって いましょうと

 あたまに はっぱを のせました

 

B

■バークリー音楽院

バークリー音楽大学(Berklee College of Music)は、アメリカのマサチューセッツ州のボストンにある音楽大学。

世界で唯一ポップス音楽(主にジャズ)を基調とした音楽教育を行っている教育機関。ジャズやポップスやロック等の分野やジャンルで、数々の著名なアーティストを輩出している。学生の約40%は海外からの留学生で占めている。

・・・でも、ロックやジャズのファンに有名なのは、一時期、論争の元になった、そこの「音楽理論」。いわゆる「バークリーメソッド(BerkleeMethod)」とは、アメリカのバークリー音楽大学で教えられている音楽理論。現在「ポピュラー音楽理論」「ジャズ理論」などと呼ばれているものは、全てこの理論と同義語。生演奏主体のジャズ理論が根本にあるところが特徴で、本来は即興演奏のための理論だったものが、この中の用語が、標準語のように語られ始めて、今やすっかり「ポピュラー音楽理論」そして、苦労して理論化した結果が、「教科書どおりの演奏はつまらない・・・」という、当初の理論と矛盾する形の発展を遂げたことで、「即興演奏に必要な知識を寄せ集めただけの方法論に過ぎない」、「商業音楽の均質化・没個性化に寄与した」などと批判された。

 

■ベーリック・ホール

横浜の洋館の中でも最大級の大きさを誇る建物で2002年から公開されるようになった建物、デザインはスペイン建築が基調となっている。

ギャンちゃんの「ぬくもり」のPVが撮影されたことで一躍人気スポットになり、PVでも象徴的に使われている、特徴ある形の窓や、コンサートや展示会も行われるピアノがある居間が特に美しい。車いすで来館の方には裏口にスロープ状の入り口があり、とても親切。

※場所:横浜市中区山手町72番地(元町公園内)

 TEL: 045-663-5685 開館時間:9:30~17:00(7月、8月は18:00まで)

 休館日:第2水曜日(祝日の場合はその翌日)、年末年始(12月29日~1月3日)

 

■ぼんぼり祭

鎌倉鶴岡八幡宮のぼんぼり祭には2009年には、ぎゃんちゃんと武部さん。2010年-2013年には、ぎゃんちゃんが参加している。

 

■ボサノバの女王

バークレー時代に呼ばれていた愛称。

鳥山雄司が六本木ヒルズライブにギャンちゃんを呼んだ時にボサノバ好きのギャンちゃんを称して「ボサノバのことは川江に聞け!」と紹介された。ハーフトーン・ミュージックのライブでは、同じく鳥山雄司に「ボサノバの女王」と紹介された。実際にボサノバ、サンバ、ブラジリアン・ミュージックには相当傾倒しており自身のライブでも何回もカバーしている。既成の概念にとらわれないコード進行や、ボーカル・スタイルにはかなり影響が見られる。軽やかな中音域から、情熱的な中高音~高音に切り換わるあたりの歌いまわしは大きな影響を受けており、根っからのジャズ好きに、ラテン系のボーカルのダイナミズムが加味されギャンちゃんのボーカル・スタイルの重要な味付けになっている。

 

C

■クリスチャン

ぎゃんちゃんの祖父母はクリスチャン。

「小学生の頃は毎日曜、子供の礼拝に行ってました・・・・

でも礼拝は上の空、最後のお祈りのときにかかる曲が好きで、家に帰るとピアノでたどっていました・・・・」

 

■『COVERS PLAY Vol.0』

1990/12/25   Halftone Music
ハーフトーン・ミュージックの設立10周年記念に作られたカバー曲集
一般販売なし

■『COVERS PLAY Vol.1』

2000年の12月25日にハーフトーンミュージックの20周年を記念して作られたアルバム(CD)限定1000枚。

ネットでの注文販売だけだった模様。

※参照記事(申し込みサイトはもうありません)

㈱ハーフトーンミュージック&システムズと申します。今回弊社では、1980年にリリースもしくはヒットした作品の中から15曲を厳選し、弊社所属アーティスト、ミュージック(約50名)がアレンジ、ヴォーカル、演奏で参加している究極のカヴァーアルバム「COVERS PLAY vol.1」を2000年12月25日(月)に発売することとなりました。(お申し込みはもう開始させて頂いております。)ここでしか手に入らない、お店では手に入らない貴重なCDとなっています。是非お申し込みを!詳細・お申し込みはこちらまで!宜しくお願い致します。

D

■ダリオルール

東京渋谷区上原ぎゃんちゃんの事務所ちかくにある、フランス菓子屋の名店。

2008年のライブ6月と8月の「Promenade」で、参加者全員にここの焼き菓子がひとつひとつとても丁寧に包装されて配られた。

 

 

■フランク

2021年8月生まれのヨークシャテリア(男の子)

​同年秋より、村田家に住み川江美奈子の新・相棒となる。(まだ彼の曲はない)

G

■郷ひろみ

ギャンちゃんが初めて曲を提供した男性歌手

提供した「ありのままでそばにいて」は作者を隠したファン投票制のシングル決定で、残念ながらシングル化はされず、アルバム「place to be」に収録。しかしその後、2008年9月1日「春に行った選曲施策でもかなりの支持を得、現在行っているライブでも大人気の楽曲をシングル化することになりました」との理由でシングル化決定。10月29日に発売された。

 

■ギャンちゃん

川江美奈子さんの愛称 音楽仲間の誰かが、漫画「ガンダム」に登場する「ギャン」に似てることから そう呼ばれ始めたらしい。顔の十字が微妙に似ているかも? ファンへの認知としては、窈ちゃんのファンクラブ冊子「一青紙」vol.3(2004年冬) での登場や、窈ちゃんのHPの誕生日パーティ記事で 「ぎゃんちゃんこと川江美奈子さんも・・・」と載ったのが、最初と思われる。 その窈ちゃんも川江さんという名前より、先に「ギャンちゃん」で覚えたくらい、 かなり浸透していて、松本英子さんは「ギャンギャン」と呼び、 後輩は「ギャンさん」とも呼んでいる。 しかし、2009年の上野東京文化会館ポピュラー・ウィークでは 「“頑固(ぎゃん固)”の略!・・・ウソ。もう説明するの面倒臭い~!」とちょっとボヤキ始めている・・・

【ギャン(Gyan)のプロフィール】

グルググとほぼ同時期に開発されたこの機体は、次期主力MS候補の一体であった。RXシリーズとの格闘戦を主眼として開発されたため、火力はMS106Fと大差はないものになっている。武器としてはミサイルや機雷(ハイドポンプ)を内蔵したシールドと高出力のビーム・サーベルを装備している。だが、結局量産ラインには乗らず、マ・クベが愛機として使用した一機のみが実戦に投入されただけに終わった。全高・19.9m本体重量・52.7t装甲材質・超硬スチール合金武装・ビーム・サーベル、シールド(ミサイル×56、ハイドポンプ×12)

※TV放映第37話に登場。劇場版映画ではカット。

 

H

■浜崎ウィンドファーム

茨城県神栖市矢田部・須田 にあるギャンちゃんの記念すべきデビューシングル「願い唄」のPVが撮影された場所。

メチャクチャ寒い日の信じられないような撮影だったことはPVを見てもわかるし、ライブでも度々語られている。

 

■春待月

旧暦の「春」とは、1月~3月のこと。その春を待つ気持ちが次第につのる月であることから12月を春待月とよんでいる。

2007年の「夜想フ会」のサブ・タイトルに使用。同ライブで「春待月夜」という新曲も発表された。

 

■弾き語り譜面アルバム

「letters」を発売した2008年の「夜想フ会~letters~(品川チャペル)」で販売された、同アルバム収録8曲の弾き語り譜面のこと。(初のライブグッズでもある)正式名は『Vocal&Piano Score letters』(2008年11月20日初版)1冊¥600にてバラ売りされたが、8冊まとめて購入すると「その年のクリスマスに、川江美奈子直筆のクリスマス・カードが届く!」というもの凄いプレミアムがついた。翌年の上野東京文化会館での武部聡志とのライブでは「8冊まとめて買うと、どれかにサインが書いてある」というプレミアムがつけられた。その後も、同年の渋谷DUOでのライブなどでも、ライブ会場で売られている。

 

■昼想フ会

2006年8月27日毎週金曜日に放送されていた、ぎゃんちゃんのラジオ番組「ずっとはるかあなたを」の中の企画として横浜FM主催で行われた、ぎゃんちゃんとファンの昼食パーティー。番組内で参加者を募集し、抽選のうえ10名が当選し招待されたが、当日2名は欠席し、8名のファンが参加して行われた。その内容は当選したファンにも全く知らされず、会場(ローマステーション)に集合し、実際に始まるまで何も知らされていなかった。多くのファンは、ぎゃんちゃんのライブを予想したものの、意外な展開にびっくり。当日は録音もされ、その模様は上記番組内で2週にわたって放送された。 ※会場となった、ローマステーションの2階。 中央の柱をカーテンで仕切り、奥のスペースで行われた。

 

■堀野さん

ぎゃんちゃんの初代マネージャー(男性)。3月26日生まれ。

 

■麩帆

生麩好き!ギャンちゃんお気に入りの、鎌倉にある、神奈川県唯一の生麩専門店。

交通:鎌倉駅徒歩約20分、江ノ電由比ヶ浜駅徒歩約4分

駐車:なし

住所:長谷1-7-7

営業:10:00~16:00(品切れまで)

定休:月曜日

電話:電話:0467ー24ー2922

価格:麩饅頭1個170円(季節限定品もあり)、生麩1本550円

■「ひぐらしのワルツ」

(2014年3月9日 川江美奈子 / Birthday Special Live夜想フ会~鍵盤だらけ!! ~六本木STB139 で発表)
ぎゃんちゃんが、生まれた次女のために作った曲

 

I

■一生の目標

私は、言葉にできないものを歌にするのが自分の一生の目標だと思っていますが、
こんな舞台を見れば見るほど言葉のつたなさを知るし、
だからこそますます私は私のフィールドでもがくぞ!と思いを新たにするのです。

(2020年12月、クラウンYAMA『雪の日』を観て)

■稲村ガ崎温泉

「夜想フ会 ~藍色・瑠璃色・菫色~」 第二夜でギャンちゃんが、「むしゃくしゃして頭に来た時に、車を飛ばして行った」という、湘南稲村ヶ崎の海岸にある温泉。江ノ電の「稲村ガ崎」から徒歩5分・・・茶色くてヌルヌルしたお湯が最高!

 

■イパネマの娘

説明の必要がない、ボサノバの超名曲。ギャンちゃんが18歳の時、初めて人前で唄った曲。

 

J

■11月18日

ミッキー・マウスの誕生日

2007年11月18日ミッキー79回目の誕生日ギャンちゃんは、平原綾香とディズニー・シーの「ホテル・ミラコスタ」にてライブを行った。

 

K

■川江節

2007年12月7日「夜想フ会」で、自分らしい曲を称して使った言葉。「最近ではなんか“川江節”ってのがあるらしくて、人に良く“あれ書いたでしょ?”言われる。マンネリって事かな?と思いつつ、自分らしさっていうものが少しずつ出てきたのかな~?それはそれで嬉しいことだな」

 

■川江“ポイズン”美奈子

2007年のハーフトーンミュージックのライブで、名付けられた、無意識にマシンガンのように飛び出す、ポイズンたっぷりの辛口トークのこと。競演したミュージシャン達がつけたものらしい。ギャンちゃん自身は「照れ隠し」だと言っている。

 

■喜久屋

1924年創業の洋菓子店。ギャンちゃんのお気に入りは、82年間同じ製法を貫くという、210円の「レモンパイ」

場所:横浜市中区元町2-86午前10時~午後7時半までの営業で、月曜が定休日。

 

■キーボード三銃士

2008年今井美樹ツアー・バンドの3人のキーボーディスト達のこと河野圭村田昭そして、我らが川江美奈子・・・命名もぎゃんちゃん。

 

■結婚

2010年10月16日、村田昭さんと結婚

10月18日南青山MANDARA「蔵出しライブ VOL.1」、ファンの目の前で発表!

 

■鍵盤の日

ピアノの鍵盤が88ある事から、毎年8月8日を「鍵盤の日」と言われており雑誌CDジャーナルは2006年、2007年とピアノにまつわるゲストを集めライブを行っており、ギャンちゃんは2回とも参加している。

同じく2回のライブに参加している大嶽香子さんと、白井裕子さんの二人からなるユニットナチュラル・ハイが、2007年に日本記念日協会に正式申請し8月8日のライブで正式認定された事を報告して話題になった。

 

■公園前ホールの上

神奈川県民会館ホール6階「英一番館」のこと。

横浜の名曲「それから」の中で横浜(港)を二人で眺めるには、マリンタワーではちょっと高すぎてこれくらいの高さがちょうどいい・・・と歌われた場所。実際に行ってみると、その高さや景色はまさに「ちょうどいい」高さで階下を歩く人々の表情がうかがいながら、広い港や山下公園も一望できる。通常の家屋よりは高く、高層ビルやタワーのような高さでもなくなかなかありそうでない、まさに絶妙の高さであることが分かる。実際にギャンちゃんも、何度も訪れている店で「私のお馴染み!」と話している。お馴染みならではの、ロケーション・センス。

「友達を誘ってよくお茶する場所。黒のタキシードできめた給仕さんの落ち着いた物腰にほっと心が和みます」 川江美奈子。

 

■聲

2012年「川江美奈子 / Birthday Special Live 夜想フ会~聲(こえ)~」の最後に歌われた未発表曲

<MC>最後にもう一曲だけ、弾き語りで聴いていただきたいと思います。今日は本当に最高の誕生日になりました、どうもありがとうございます ここで何を話そうかいろいろ考えたのですが デビューのころからずっと、あんまり作りこむのは上手くなくて いつも、その時の自分がそのまま唄に現れてしまう自分なので今日はここも素直にお話をしたいと思うんですけれでも・・・この曲は、自分の父に向けて書いた曲です。 私は子供のころからすごくパパっ娘で その父が、今年の初めに天国に逝ってしまいました。しんみりしちゃうと唄えなくなっちゃうんで、楽しくいきたいと思うんですけども生前、父はすごく厳しいひとで私はその父の性質を引き継いで毒舌になったのかな?と思うんですけど私の100倍ぐらい毒舌の人でした。 そんな父がだんだん優しくなっていって「お前に歌なんか唄える訳がない!」と言っていた父が だんだんと応援してくれるようになって、そして最後のほうは「お前、もう歌のネタが尽きただろう」ってよく言われ「そろそろ、パパの曲を書いたら?」と、会うたびによく言われました。 元気なうちは、そういう歌を贈ることが出来なかったのですが今日ここで「聲」という曲を父に向けて、そしてみなさんの大切なひとに向けて、お届けしたいと思います。

 

よろこびに出会うたび

あなたがここにいないことが悔しくてさみしくて

泣き笑いになるけど

この私も年をとって

ここを去って

あなたに「ただいま」という日まで

大きな大きな聲で唄っていこうと思うのです

 

 

■コットマン

2011年「夜想フ会~3939@139~」で詩の朗読に使用していたスケッチブック

 

■古奈屋

お馴染み二子玉川高島屋の「古奈屋」は現在は閉店巣鴨本店の他は、池袋、横浜、上野、丸の内の4店舗

 

■「この星の鼓動」のジャケットの意味

「誰かが誰かを思うちからがこの星を動かしてる気がするんだ」この星に立っている以上、あふれてやまない気持ち、いいことも悪いことも自分からあふれ出して、エネルギーに変わっていくということ。その先にある絆、希望‥つまりは壷は私自身です。注がずにはいられないもの、みんながきっと持っていると思う。大切なものは目に見えないんだ‥と言ったキツネがいましたが、色とりどりに目に見せてみたらこんな感じ‥かもしれない。自分の壷ばっかりのぞいていた気がするのね。最近はふと知らない隣のひとの壷をのぞいてみたくなったりするのです(川江美奈子)

 

■強力二人組み

吉田さんと長尾さんのこと。命名ぎゃんちゃん。

吉田さん・・・カメラはブレても、熱い心はブレない名カメラマンとして大活躍また、ある時は(自称)まぬけな影アナもやっちゃいます♪

長尾さん・・・よく雰囲気似てるって言われるんだけど、私とは真逆の天使のココロの持ち主なのョ。(川江美奈子)

※2009年、吉田さんはご結婚され「山下」さんに♪通称Yマネ。

 

 

M

■マイケル

ギャンちゃんのお父さんが飼っていた犬の名前。

minakokawae (2016/12/15 instagrm)

暮れが近づくと
我が家はどっぷりクリスマスモード。
賑やかであたたかくてhappyだけど
心はどんどん静かになっていきます。
父の命日が近づいている冬の日、
父の愛犬が旅立ったという報せ。
あるじ亡きあと、私の家では飼うことができなくて、
素晴らしい里親さんに引き継いで頂いたのでした。
緑のいっぱいあるところをじゃんじゃん走り回らせてもらって、
きっとhappyだっただろう。
ありがとうございました。
いまごろパパと再会ですな。
今日ばかりは空を見上げずにおれません。
こんな澄んだきりっとした気持ちの良い日でよかったねーマイケル!

 

■豆まき

豆まきといえば、子供のころ、我が家では「福は内」の分だけ豆でなくトゥウィンクルチョコレートとかラムネだとかをまいてよくて、あとで拾っていいというめちゃくちゃなルールでした(川江美奈子)

 

■村田直美(キャンベル)

ぎゃんちゃんいわく「私の大事な姉貴、カリスマ舞台監督村田直美さん」苗場や逗子をはじめ、ユーミンの舞台監督として超有名。

ここぞってときにいつもチカラをくれます「だいじょーぶ、おまえは天才だからさ!がははは」みたいな感じで‥(川江美奈子)

 

■メトロノーム

ギャンちゃんのスナップのことギャンちゃんが自分で、そう呼ばれてた・・・と言ってるので間違いないんでしょう・・・多分。

あの0621渋谷duoで、お披露目されましたネ「恥ずかしがらずに」「関係者の方も腕組みしないで」「音が出ても出なくてもいいので」「ひらめいちゃった~!」みたいにやるのがコツって言ってました。

 

■虫

「君の唄」の歌詞に出てくる「虫」とは、秋の夜長の・・・ではなく、夏の「蛍」のこと。

 

■モーニング・レディ

素敵なボサノバ「葡萄色の朝」の仮題

大勢の友達が遊びに来た翌朝、片付けをしているぎゃんちゃんのこと

 

■師岡貴文

ギャンちゃんのお友達。「夜思フ会」の「この星の鼓動」で観客全員に配られた手紙のイラスト同じく「菫色」で、手紙と一緒に配られたしおりのイラストを書いた画家・イラストレーターギャンちゃん所有の自画像もあり、そこには自宅のピアノと愛猫サンちゃんも描かれている。

 

N

■苗場

ユーミン冬のツアーの名所として有名。武部さんの誕生日が毎年、そのツアーの真っ最中になる為(1957年2月12日生まれ)毎年この時期の苗場には、武部さん、ユーミン、ギャンちゃん、一青窈が集合する。2009年参加の際には、キャピタル・ヴィレッジのブログにライブ・レポを掲載。

 

■夏想フ会

2008年8月16日に鎌倉由比ヶ浜チャイナクイックリゾート特設ステージで行われたフリーライブのタイトル

副題に「夕凪ライブ」と付けられ、夕方から2セットが行われた。

1stセット 17:30~18:002ndセット 19:00~19:30

インターバルではCDの即売会、サイン会も実施され当日集まったファンとの身近な交流を積極的に行い、参加者には忘れられない夏の一夜となった。また、サポートメンバーとしてデビュー前の仲間、菊地真義さんが参加。

 

■日本大学鶴ヶ丘高等学校

ぎゃんちゃんの母校。2008年夏の第90回全国高校野球選手権記念大会に、18年振りに登場!8月3日(日)に行われた2日目(1回戦)第1試合で、鹿児島実業高校(鹿児島代表)と対戦し,健闘むなしく1対14で敗退。そのHPには、ぎゃんちゃんもOGとしてメッセージを残している。

 

■オーロラ美奈子

今井美樹さんのツアー(2008年)に参加した際にその美しいハモリ声を称して、今井美樹さんが「オーロラのよう・・・」と語ったためツアー・バンマス河野圭さんが、ぎゃんちゃんブログで「オーロラ美奈子」と呼んだ。どこまで実際に呼ばれ、使われているかは不明。

 

■「おかえり」

蔵出しライブ(結婚発表ライブ)で、結婚報告のあとに唄われたご主人(村田昭)さんに贈られた曲、メッセージとともにこの曲を録音したCD-Rを手渡したらしいけどご主人は無反応だった・・・なんてことをMCでいつか言ってた気が?​

P

■パソコン

音楽作業用はマック、その他はバイオを使用。(2008年現在)

 

■「ピアノ」のジャケット

黒猫の置物は、サンちゃんをモデルにしたものではなく、デザイナーさんが考えて来たものとの、偶然の出会いで決まったもの。

 

 

■6月のPromenade(8月のPromenade)

2008年6月17日と8月7日に渋谷公園通りのライブ・ハウス「公園通りクラシックス」で行われた、弾き語り中心のワンマン・ライブのタイトル。8月は武部聡志がゲスト参加し「桜色」の連弾を披露。とても新鮮なセットリストに加え、未発表曲あり、他のアーティストに書いた曲のカバーありの非常に中身の濃い1時間半。客席には、6月は平原綾香、8月にはツアーを一緒に回った今井美樹バンドのメンバーも・・・

 

■ローマステーション

横浜、山下公園横、神奈川県民ホール裏にある1963年創業、40年の歴史を持つ老舗イタリアン・レストラン

ぎゃんちゃんファンには、この店の2階が「昼想フ会」の会場になったことで有名。

〒231-0023 神奈川県横浜市中区山下町26

電話:045-681-1818

営業時間:月~金 11:30~22:30(L.O.21:30) 土 12:00~22:30(L.O.21:30) 日・祝 12:00~22:00(L.O.21:00)

 

S

■佐藤 昌介(さとう しょうすけ)
ぎゃんちゃんの高祖父(4代前・・・?)
北海道大学正門を入ってすぐのところに胸像がある。
1856年12月21日(安政3年11月24日) - 1939年(昭和14年)6月5日)
北海道帝国大学初代総長。
日本初の農学博士のひとり。
岩手県花巻市出身。

※大学校 (1869年)#大学南校、東京英語学校(ともに現・東京大学)に学んだ後、札幌農学校(現・北海道大学)に第1期生として進学。ウィリアム・スミス・クラークに学んだ。大学卒業後、札幌農学校助手に就任。1882年には自費で渡米し、ホートン農場で農業技術を習得したほか、ニューヨーク在勤総領事の紹介により農商務省御用掛りに就任した。その後はアメリカ合衆国メリーランド州にあるジョンズ・ホプキンス大学でおよそ2年間、経済学者のR・T・イリーらにより指導を受けた。イリーはドイツ歴史学派に影響を受けた保護貿易論者であり、彼の教えを受けた佐藤が農学校にドイツ的農学・経済学を持ち帰ったことから、それまで英米風の大農経営と畑作を重視していた農学校の学風が、中小農経営・米作中心の農学へと転換していく結果になった。1886年、札幌農学校教授となる。1894年、札幌農学校校長に就任。新渡戸稲造らと共に1899年、日本で初めて農学博士の称号を授与された。1907年、東北帝国大学農科大学学長に就任。1910年12月までは東北帝国大学の総長の職務も代行した。918年、北海道帝国大学が発足され、同大学の総長に就任した。

事実上の単科大学であった札幌農学校を帝国大学へと昇格させるために尽力した人物であり、「北大育ての親」とも呼ばれている。1926年、旭日大綬章を受章。1928年には男爵を授爵。1932年、北海道大学構内に佐藤昌介の功績を称え、胸像が完成した。製作者は北海道出身の彫刻家、加藤顕清である。しかし、その後1943年、第二次世界大戦下における金属類回収令の影響により胸像は回収された。同じく同大学構内にあるクラーク像も回収されている。その後1939年に病死。現在構内に位置する胸像は1956年に新しく建設されたものである。この「佐藤昌介像」は、「北区歴史と文化の八十八選」に選定されている
※from<wikipedia

2016年10月ぎゃんちゃんも「会いに行き」instagramに写真をアップした。

■坂(の途中)

「それから」で歌われている、「理由のつかない涙をこらえていた坂」とは、横浜元町プラザの横から外人墓地に登る、石の階段の急な坂道のこと。ギャンちゃん自身のデートコース。

 

■サンちゃん

ギャンちゃんの同居人、黒猫の「サンちゃん」のこと。 名前のサンはサンタマリアの略、メスの6才(2007年現在)時折、ギャンちゃんのダークな部分と同化しながら、ブログにも度々登場。(2017年10月 死去 享年16才?)

 

■三大テーマ

ギャンちゃんの唄の三大テーマとは・・・「木」「時」「雨」

 

■三声のハーモニー

ロックファンには「三声のハーモニー」と言えば、クロスビー、スティルス&ナッシュかビートルズですが・・・ぎゃんちゃんファンにとっては「滴」を唄う時の「お仕事」

 

■「時雨月夜ニ君想フ-letters-」

アルバム「letters」の発売を記念して、2008年9月4日から雑誌「CDジャーナル」のWebページで連載された特集記事のタイトル。

 

■SCS(ストリート・コーナー・シンフォニー)

語源は1950年代のアメリカ・ニューヨーク・ハーレム。

貧困の中、楽器を買う金銭的余裕も無いため、自然派生的にアカペラのボーカルグループがたくさん存在していて、練習場所も無いため、路上で4~5人がアカペラを歌ってました。これらの音楽が俗に「ストリート・コーナー・シンフォニー」と呼ばれていました。そして、今「ストリート・コーナー・シンフォニー」と言えば・・・

早稲田大学の学生が主体となっているアカペラサークルの名称です。サークル内で、同じ音楽を求める人、仲のいい人が集まってバンドを組み、ハーモニーや歌唱力の向上を目指し日々練習をしています。春夏秋冬と年4回ほどライブも行っています。TRY-TONE、Smooth Ace、AJI、ゴスペラーズなどプロデビューを果たした卒業生も多数います。SCSは4月~3月を1年度としており、在籍できる期間は4年間です。サークル員は、およそ150名程度で、そのうち常時活動しているのは100名程度です。早稲田の学生だけでなく他大生から社会人まで幅広い種類の人が集まっています。from HP

 

■詞先・曲先

詞先とは歌詞を先に作って、その後で詞にメロディを付けていくという作曲方法、「曲先」とは先にメロディを作って、それに歌詞を付けていく方法。※川江美奈子→基本的には圧倒的に詞が先です。詞からおのずとメロディが喚起されます。でも最近は同時もあるなぁ。曲だけをラララ‥と作ることがあまり得意ではないかもなぁ。多分に言葉にたよってるのかも。とにかく、きらりとイメージの欠片をしっかり掴めたら、あとは確信に向かってまっしぐら!‥という感じで書きます☆

 

■水晶

前記、サンちゃんのこと

■卒業

2017年2月~「音楽家の話が聴きたい。~音楽プロデューサーの仕事とは~」の課題曲として(新曲として)提供。

イベントにはぎゃんちゃん自身も参加。第一回~三回で完成予定。2017年2月現在楽曲完成後の動向は未定。会場では楽譜・歌詞が配布されたが2月現在公式には未発表ながらイベントの様子は映像ソフトとして配信予定。

同年の3月28日  Birthday Special Live「二人想フ会 春待月夜~再会~」渋谷JZ Brat SOUND OF TOKYOで初お披露目される。

~卒業~ (元詞、完成系は不明)

卒業のときがきました
初めての冒険した
一緒なら何だってできた
大切な友に 手をふる

卒業のときがきました
永遠を願っていた
世界じゅうが涙に濡れてた
大切な恋に 手をふる

卒業のときがきました
窓から電車が見えた
夜明けまで音楽紡いだ
大切な部屋に 手をふる

卒業のときがきました
気づかずに守られてた
今はない帰り道さがした
大切な家族・・・

 こんなにも消えないさみしさがあること
 知らないまま 子供のまま
 大人になったけど

卒業のときがきました
あどけないちいさな笑顔
つられて笑って 春を好きになって
昨日の私に 手をふる
昨日の私に 手をふる
どこからかそっと 見ていて 

 

T

■宝物

2014年4月現在2児の母

 

■食べ物

良く食べる。でも太らない。夏は毎日のようにそうめん。冬は鍋。カレーも自分でよく作り、麩饅頭、生麩も好物。

 

■多摩堤通り

正式名は「東京都道11号大田調布線」といい、東京都大田区の蒲田から調布市国領までの通りのこと。途中の多摩川沿線が桜の名所として有名。ギャンちゃんのドライブ・ロードであり「この星の鼓動」のCDが完成した深夜の帰り道、爆音でかけて走ったらしい。その時見た桜が「一緒に『わ~~~っ!』って言ってくれてる気がした」と話している。(「~naturelle~」原宿 Blue Jayway 2006/4/22)

 

■タンバ筋(手拍子筋)

今井美樹さんのツアーに参加して得た、二の腕の筋肉のこと。バンドの紅一点として、会場の手拍子を煽る役目をしてたぎゃんちゃんが最初は辛かったものの、何回かやるうちにこの筋肉が付いて平気になったらしい。「タンバリン筋肉」の略。「手拍子筋」も同意。

 

■胆道・・・良く言えば「ピアノ」の生みの親。

 

■トマト先生本名「森上英樹」さん。

ギャンちゃん、武部さんらと同じ、ハーフトーン・ミュージック所属。お仕事は振付とステージング(ステージ上の動き)ですが総合的なステージの演出も含め「ステージング・デザイナー」という名前をユーミンのご主人がつけました。広島出身の方で、ユーミンの1984年から1995年の振付を担当していた中村龍史さんのアシスタントやり、1996年からはフリー。1994年からのユーミン(ステージング・デザイン、振付)1998年からのゴスペラーズ(ステージング・デザイン、振付、演出)SPEED,GLOBE,ラルク・アン・シエルなど・・・を手がけてます。もともとはカメラマンを目指して上京したかたでバンドを組んで、ドラムを叩いていたこともあるそうです。アルバイトをしながらダンスを覚えていたショーパブで、「名前が固すぎる」という理由で付けられたニック・ネームがいまだに使われて、業界では「森上“Tomato”英樹」、通称「トマト先生」と呼ばれているそうです。

 

■等々力渓谷

大学生の頃から、時々歩いてる場所です。せせらぎのお水はあんまりきれいじゃないしすぐ上は環八がゴウゴウ走ってる。けれどこの緑に蓋をされたような場所が私は好き。かつては修行僧がたくさん集まったという独特なストイックな空気も好き。

と、ギャンちゃんが語った世田谷区の公園

WOWOW「コラボ☆ラボ」出演時に時任三郎さんとの対談場所として選んだ。東京都世田谷区、谷沢川が等々力付近の国分寺崖線を流下する際に削り形成した渓谷で、台地面との標高差は 10m ほどである。周辺で宅地化が進んだ今もなお森林が残り、斜面の各所より湧水が見られる。東京23区唯一の渓谷として東京都指定名勝となっており、渓谷沿いに歩道が造られ、等々力駅付近より多摩川合流点付近までの約1kmを散策できるようになっている。夏は周囲より涼しく、近隣住民に憩いの場を提供している。

東急大井町線「等々力駅」下車

 

■トライデント

ボストン留学時代にぎゃんちゃんが通ったカフェ。

そこで飲んだ「ショコラティーノ」は楽曲になり、蔵に貯蔵中。

「Trident Booksellers & Cafe 」

338 Newbury St.Boston, MA 02115(地下鉄グリーンラインHynes Convention Center/ICA駅そば)

Phone: 617-267-8688

Hours: (無休) 9:00am - 12:00apm

 

■TRY-TONE

◆デビューアルバム「エトワール~12の星物語」ビクターエンタテインメントVICG-39 \ 3,000 (税込)

1994.3.24 リリース

01. 誓い~ PROMISE FOR TOMORROW (獅子座)

02. SCORPIO, MY LOVE (蠍座)

03. TIME after TIME (双子座)

04. TRUE ROMANCE (牡羊座)

05. 白いクリスマス (射手座)

06. 時の旅人 (水瓶座)

07. DREAM CATCHER (蟹座)

08. スターダスト・ティアーズ~忘れた涙 (天秤座)

09. SMILE AGAIN (牡牛座)

10. DESPERADO OF LOVE (山羊座)

11. 魚たちのパラダイス (魚座)

12. WHEN LIGHTS ARE LOW ~夜のとばりの中で (乙女座)

(※1、3、10はコーラスアレンジも担当)

 

◆「A Cappella 1」

Next Records NXCD-0001 \ 2,940 (税込) 1997.11 リリース

01. ★上を向いて歩こう

02. 見上げてごらん夜の星を

03. 蘇州夜曲

04. ★島唄

05. ★星に願いを

06. A列車で行こう

07. ★SONNET(作詞、貞国氏と共作)

08. ★しあわせもあこがれも(作詞・作曲、詞は貞国氏と共作)

09. この道

10. Amazing Grace

11. きよしこの夜

12. JOY TO THE WORLD

13. 牧人ひつじを

14. 赤鼻のトナカイ(★1、4、5、7、8のみの参加)

 

◆「A Cappella 2」

Next Records NXCD-0001 \ 2,940 (税込) 1998.5 リリース

01. アカペラでゆこう

02. おぼろ月夜

03. 涙をこえて

04. 旅愁

05. LOVE LETTERS

06. SING

07. ★心のパレット

08. ★夢紀行(作詞・作曲)

09. 心をつないで

10. 花

11. THE CHRISTMAS SONG

12. DECK THE HALLS

13. O CHRISTMAS TREE

14. SANTA CLAUS IS COMIN' TO TOWN

15. JINGLE BELLS

(★7、8のみの参加)

 

 

■トラベリングサーカス

夢だけど、夢じゃない。目が覚めて跡形もなく消えてしまっても、心にそっと一粒の何かが残っているように。

そんな音楽を届けたい移動遊園地バンド、Travelling Circus。

メンバーは、シンガーソングライターとして歌い続けながらも、数多くのアーティストに楽曲を提供しているVo.川江美奈子。ポップからアブストラクトまでミュージシャン、ソロ・アーティストとしての活動の幅を広げるDrs.坂田 学。宇多田ヒカル、矢井田瞳、鈴木雅之、渡辺美里などのサポートとして知られる実力派のミュージシャンBass斉藤光隆。夏川りみ、Kiroroのプロデュース、他数多くのアーティストのレコーディング、ライブで活躍するGt.知念輝行。矢井田瞳等のプロデュース、back number、今井美樹、秦基博、等のサポートで知られるKbd.村田 昭という多彩な顔ぶれ。

現在はライヴ活動を続けながら、オリジナル作品を増やし続けている。

 

■TUNERFORK

英語ではTUNINGFORKと書く、音叉のこと。ライブの終わりに客席に向けて投げ、投げキッスをして去ってゆく某グループでも有名。

 

■ちょっとタイ風なべ☆

トライトーンの多胡さんが、ギャンちゃんに教えたという「ちょっとタイ風お鍋☆」ギャンちゃんいわく「時々思い出したように食べたくなる、青春の味」中身は・・・昆布だし+豚肉と白菜としいたけくらいのシンプルなもの仕上げに、けんみんの焼きビーフン!を入れてゴマ油をたらっと取り皿にはお塩と一味唐辛子(ココがみそ)スープごと取ってつるつるっと頂くってもの。

美味しかったですよ

 

 

■「Wonderful Life」(MAMA DON'T CRY 2012年5月13日渋谷BOXX で発表)
ぎゃんちゃんが、生まれた長女のために作った曲

​2023年に配信発表された録音には、生まれてのお子さんの産声がちょこっと入っています。

 

Y

■夜想フ会

毎年、年末恒例となっているワンマンライブの名称。

2005年、2006年と3回ずつ行われているが、番外編として、2006年6月21日にアルバム「この星の鼓動」の発売記念として渋谷DUOで行われた「夜想フ会~この星の鼓動」と 音楽ライブではないが、横浜のイタリアン・レストランにファンを招待してヨコハマFM主催で行われた昼食会「昼想フ会」がある。2007年は、目黒の庭園美術館で行われ、ギャンちゃん待望!森の中、木に囲まれてのライブとなった。演奏はいつもの弾き語りばかりではなく、他のミュージシャンとのバンド演奏やゲストを呼んでの本音トークも楽しめる。

2006年の夜想フ会では、ユーミンの苗場ライブでおなじみのリクエスト・コーナーも設けて大好評を得ている。自身のスタンドや本などをイロイロ持込み、自分の部屋にいるような雰囲気を出し衣裳も通常のピアノ弾き語りスタイルでは見ることの出来ない、夜を意識したものが多く、女性ファンの注目を浴びている。

2005年の第3夜では、胸に大きなリボンを付けた派手な衣裳で登場し「今夜は私がプレゼント!」などといって話題を集めた。また、ライブならではの、未発表曲や楽曲提供したもののセルフカバーなども披露し、自分の曲も弾き語りものをバンド・バージョンに変えたりと変幻自在。ファンにとっては、年の終わりの一大イベントとなっている。

 

■吉田奈生さん

2代目、そして現在(2009年現在)のぎゃんちゃんのマネージャー。2009年1月25日に結婚し、山下奈生になるが「Yマネ」として解り易く表記されるようになった。その結婚式では、ぎゃんちゃんはもちろん、窈ちゃん、平原綾香らも歌をうたって祝福したらしい、当日のぎゃんちゃんのブログでレポ(?)されている。

 

■吉野山・吉野桜

幾千の願い 幾千の夢

受けとって君は生きたの

散りゆくのはその涙なら声なき声を聞かせて

 

古の音が 月の雫が

ほろほろと君を照らすよ

懐かしいひとに触れてるみたい面影をそっとください

 

君は君は生きる道しるべ

めぐりめぐる愛をくれた

すっとずっとまだ見ぬ誰かの一頁に降りそそいで

 

幾千の願い 幾千の夢

わがままな僕を許して

山の端(は)に浮かぶ 淡い羽衣

ずっとそこにいて

 

花は花は 短きいのちと

人は憂い笑うけれど

いつかいつか 君の腕の中終わらない愛に気づくの

 

風に曝されて 雨に打たれて

誰がため花をひらくの

散りゆくはその涙なら声なき声を聞かせて

 

古の音が 月の雫が

僕がいま抱きしめるから

夢桜咲いて時を運ぼう来る年もここに

来る年もここに・・・

 

「夢桜~幾千の願い」 featuring Jusqu'a Grand-Pere

 

 

■ユーミン(YUMING)

ぎゃんちゃんがシンガーソングライターになる、きっかけとなった言わずと知れた、松任谷由実(荒井由実)の愛称。

「中学にあがるちょっと前、叔父にレコードをもらったのが初めて」「(ユーミンの楽譜2冊をピアノの上から取り・・・)一冊¥2000ぐらいするので、結構な出費で・・・でも、どこへ引っ越すときもいつも一緒で、今でもいつも、この本は私のピアノの上にあります・・・・」

・・・と、「夜想フ会」の記念すべき1回目で「翳りゆく部屋」を歌う前に語っている。ぎゃんちゃん自身も、学生時代は顔がちょっと似ていて、ユーミンと呼ばれていたことがあるそう。

ユーミンとは、彼女が14才の時に初恋の彼(中国人)が付けてくれたニックネーム。中国読みに合わせてyuminにgを足してyumingにしたのと、ingにすることで現在進行形を現している。

 

Z

■ずっとはるかあなたと

言わずと知れた、ぎゃんちゃんの名曲・・・で、横浜FMで、2005年10月7日~2006年9月29日まで、毎週金曜日の夜(23時半~24時、2006年4月からは24時スタートに変更)放送されていた、ぎゃんちゃん初のラジオ番組のタイトル。

最終回は、ぎゃんちゃんの弾き語りライブだった。

なお、CDのピアノ演奏はぎゃんちゃん自身だが、番組のインストテーマを演奏してるのは武部さん。

 

 

 

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